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仮設住宅に忍び寄る孤独感

家を失った人々の仮の住居 仮設住宅
震災後、初めての迎えたお正月
その元旦の朝に、仮説住宅で孤独死が発見されました
この年、1996年の仕事初めは、慟哭の取材となりました

その後も、餓死、孤独死、自殺の取材は続きました

仮の住まいのはずが、終の棲家となった人は多いのです
仮説住まいの味気なさや孤独感を少なくするために
ふれあいセンターを作って、ボランティア活動や
お年寄りの安否確認、声かけなどが行われるようになりました
関西国際空港への長い橋の入り口、泉佐野市
リンクータウンと呼ばれますが、最近大阪府の破綻で有名に

泉佐野市が造成した広い土地が売れずに残っていました
ここに、ポツンと仮説住宅が建てられました
主に神戸市の被災者、そして、芦屋市、西宮市からも
移り住んでいました。
『夜は、海の向こうに神戸の灯りが見えるので、毎晩その灯りを
見て泣いている』と話す人もいました

家と仕事の両方を亡くした人が多く、もとの住まいに戻れるのか
仕事を見つけることができるのだろうかと、不安が募ります

彼らの多くは、結局神戸には帰って来ませんでした
数年が経ち、復興住宅への抽選が進み、
空き家が増えてきた仮設住宅は、一層さびしさが募ります
まして、高齢の一人暮らしには身にしみます

励ましの言葉も、心の中に進む”絶望感”を癒すことは
なかなか出来ません

震災から3年目の2月、
公営住宅第4次募集の落選を苦にした74歳の女性が自殺しました
首吊り自殺と発表されましたが・・・
取材してみると・・・
インタビューは、
同じ仮説にすむ人々の、悲しみの声です







風呂桶の中にある、腰より低い位置にある手すりに、
紐のを結わえ、その紐を首に巻き、
手すりを利用して、自分で首を絞めたのです
非力であるはずの74歳の女性の壮絶な死です

自分の体重を利用しての首吊り自殺とは違います
絶命するまでの気持ちを想像すると、本当に悲しく残念です

『地震さえなければ、こんなことには・・・』と、甥が悔しい思いを語りました

室内はとてもきれいに整頓され、辛い思いを綴った遺書を残していました
74年の人生を、きっと真面目に生きてこられたでしょうに、
地震で生き残れたのに、
過酷な仮説住宅での暮らしにも頑張ってきていたのに
こんなお年寄りに、壮絶な自殺をさせる社会は、
若者にとっても住みよい社会ではないと感じました

人生をかけて築きあげてきた生活が、一瞬にして「無」になった震災
被災者の痛み、揺れる人々の心の内側を神戸在住の詩人が書きとめました
ここは生きるとこや―仮設住宅自治会長安っさんを追って

              

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